P--793 P--794 P--795 #1唯信鈔文意 唯信鈔文意 唯信抄と いふは 唯は たゝこのこと ひとつといふ ふたつ ならふことを きらふことはなり また  唯は ひとりと いふ こゝろなり 信は うたかひなき こゝろなり すなわち これ 真実の信心なり  虚仮 はなれたる こゝろなり 虚は むなしといふ 仮は かりなるといふ ことなり 虚は 実ならぬ をいふ 仮は 真ならぬをいふなり 本願他力を たのみて 自力を はなれたる これを 唯信といふ  鈔は すくれたることを ぬきいたし あつむることはなり このゆへに 唯信鈔と いふなり また 唯 信は これ この他力の 信心の ほかに 余のこと ならはすとなり すなわち 本弘誓願なるか ゆへ なれはなり 如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎  如来尊号甚分明 このこゝろは 如来とまふすは 無礙光如来なり 尊号と まふすは 南無阿弥陀仏なり  尊は たふとく すくれたりとなり 号は 仏に なりたまふて のちの御なを まふす 名は いまた仏 に なりたまはぬ ときの 御なを まふすなり この如来の尊号は 不可称 不可説 不可思議に まし P--796 まして 一切衆生をして 無上大般涅槃に いたらしめたまふ 大慈大悲の ちかひの御ななり この 仏 の御なは よろつの 如来の名号に すくれたまへり これ すなわち 誓願なるかゆへなり 甚分明と  いふは 甚は はなはたといふ すくれたりといふ こゝろなり 分は わかつといふ よろつの 衆生こ とにと わかつ こゝろなり 明は あきらかなりといふ 十方一切衆生を ことゝゝく たすけ みちひ きたまふこと あきらかにわかち すくれ たまへりとなり 十方世界 普流行と いふは 普は あまね く ひろく きわなしといふ 流行は 十方微塵世界に あまねく ひろまりて すゝめ 行せしめ たま ふなり しかれは 大小の聖人 善悪の凡夫 みな ともに 自力の 智慧を もては 大涅槃に いたる こと なけれは 無礙光仏の 御かたちは 智慧の ひかりにて まします ゆへに この仏の 智願海に  すゝめ いれたまふなり 一切諸仏の智慧を あつめたまへる 御かたちなり 光明は 智慧なりと しる へしとなり 但有称名皆得往と いふは 但有は ひとへに 御なを となふる 人のみ みな 往生す と のたまへるなり かるかゆへに 称名皆得往と いふなり 観音勢至自来迎と いふは 南無阿弥陀仏 は 智慧の 名号なれは この 不可思議光仏の 御なを 信受して 憶念すれは 観音勢至は かならす  かけの かたちに そえるか ことくなり この無礙光仏は 観音とあらわれ 勢志としめす ある経には  観音を 宝応声菩薩と なつけて 日天子と しめす これは 無明の黒闇を はらわしむ 勢至を 宝吉 祥菩薩と なつけて 月天子と あらわる 生死の長夜を てらして 智慧を ひらかしめむとなり 自来 P--797 迎と いふは 自は みつからといふなり 弥陀無数の化仏 無数の化観音 化大勢至等の 無量無数の  聖衆 みつから つねに ときを きらはす ところを へたてす 真実信心を えたるひとに そひたま ひて まもりたまふ ゆへに みつからと まふすなり また 自は おのつからといふ おのつからとい ふは 自然といふ 自然といふは しからしむと いふ しからしむと いふは 行者の はしめて とも かくも はからはさるに 過去 今生 未来の 一切のつみを 転す 転すと いふは 善と かへなすを  いふなり もとめさるに 一切の功徳善根を 仏のちかひを 信する人に えしむるか ゆへに しからし むといふ はしめて はからはされは 自然と いふなり 誓願真実の 信心を えたるひとは 摂取不捨 の 御ちかひに おさめとりて まもらせたまふに よりて 行人の はからひに あらす 金剛の信心を  うるゆへに 憶念自然なるなり この信心の おこることも 釈迦の慈父 弥陀の悲母の 方便によりて  おこるなり これ 自然の 利益なりと しるへしとなり 来迎といふは 来は 浄土へ きたらしむとい ふ これ すなわち 若不生者の ちかひを あらはす 御のりなり 穢土をすてゝ 真実報土に きたらし むとなり すなわち 他力を あらはす 御ことなり また来は かへるといふ かへるといふは 願海に  いりぬるに よりて かならす 大涅槃に いたるを 法性のみやこへ かへると まふすなり 法性の  みやこと いふは 法身とまふす 如来の さとりを 自然に ひらく ときを みやこへ かへると い ふなり これを 真如実相を 証すとも まふす 無為法身ともいふ 滅度に いたるともいふ 法性の常 P--798 楽を 証すとも まふすなり このさとりを うれは すなわち 大慈大悲 きわまりて 生死海に か へりいりて 普賢の徳に 帰せしむと まふす この利益に おもむくを 来といふ これを 法性のみや こへ かへると まふすなり 迎といふは むかへたまふといふ まつといふこゝろなり 選択不思議の  本願 無上智慧の尊号を きゝて 一念も うたかふ こゝろ なきを 真実信心といふなり 金剛心とも  なつく この信楽を うるとき かならす 摂取して すてたまはされは すなわち 正定聚の くらゐに  さたまるなり このゆへに 信心やふれす かたふかす みたれぬこと 金剛の ことくなるか ゆへに  金剛の信心とは まふすなり これを 迎といふなり 大経には 願生彼国 即得往生 住不退転と のた まへり 願生彼国は かのくにに むまれむと ねかへとなり 即得往生は 信心を うれは すなわち  往生すといふ すなわち 往生すといふは 不退転に 住するをいふ 不退転に 住すと いふは すなわ ち 正定聚の くらゐに さたまると のたまふ 御のりなり これを 即得往生とは まふすなり 即は  すなわちといふ すなわちといふは ときをへす 日をへたてぬを いふなり おほよそ 十方世界に  あまねく ひろまることは 法蔵菩薩の 四十八大願の中に 第十七の願に 十方無量の諸仏に わかな を ほめられむ となえられむと ちかひたまへる 一乗大智海の誓願 成就したまへるに よりてなり  阿弥陀経の 証誠護念の ありさまにて あきらかなり 証誠護念の 御こゝろは 大経にも あらわれ たり また 称名の本願は 選択の正因たること この悲願に あらわれたり この文のこゝろは おも P--799 ふほとは まふさす これにて おしはからせたまふへし この文は 後善導法照禅師とまふす 聖人の 御釈なり この和尚おは 法道和尚と 慈覚大師は のたまへり また伝には 廬山の 弥陀和尚とも ま ふす 浄業和尚とも まふす 唐朝の 光明寺の 善導和尚の 化身なり このゆへに 後善導とまふす なり 彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深  但使廻心多念仏 能令瓦礫変成金  彼仏因中立弘誓 このこゝろは 彼はかのといふ 仏は阿弥陀仏なり 因中は 法蔵菩薩と まふしゝとき なり 立弘誓は 立は たつといふ なるといふ 弘は ひろしといふ ひろまるといふ 誓は ちかひと  いふなり 法蔵比丘 超世無上の ちかひを おこして ひろく ひろめたまふと まふすなり 超世は  よの仏の 御ちかひに すくれたまへりとなり 超はこえたりといふは うえなしと まふすなり 如来の 弘誓を おこしたまへるやうは この唯信鈔に くわしく あらわれたり 聞名念我といふは 聞は きく といふ 信心を あらわす 御のりなり 名は 御なと まふすなり 如来の ちかひの 名号なり 念我 と まふすは ちかひの みなを 憶念せよとなり 諸仏称名の悲願に あらわせり 憶念は 信心を えた るひとは うたかひなき ゆへに 本願を つねに おもひ いつるこゝろの たえぬを いふなり 総迎 来といふは 総は ふさねてといふ すへて みなといふ こゝろなり 迎は むかふるといふ まつとい P--800 ふ 他力を あらわす こゝろなり 来は かへるといふ きたらしむといふ 法性の みやこへ むかへ ゐて きたらしめ かへらしむといふ 法性の みやこより 衆生利益の ために この娑婆界に きたる ゆへに 来を きたるといふなり 法性の さとりを ひらく ゆへに 来を かへるといふなり 不簡貧 窮将富貴と いふは 不簡は えらはす きらはすといふ 貧窮は まつしく たしなきものなり 将は ま さにといふ もてといふ ゐてゆくといふ 富貴は とめるひと よきひとといふ これらを まさにもて  えらはす きらはす 浄土へ ゐてゆくとなり 不簡下智与高才と いふは 下智は 智慧あさく せはく  すくなきものとなり 高才は 才学 ひろきもの これらを えらはす きらはすとなり 不簡多聞持浄戒 と いふは 多聞は 聖教を ひろく おほく きゝ 信するなり 持は たもつといふ たもつといふは  ならい まなふことを うしなわす ちらさぬなり 浄戒は 大小乗の もろ〜の戒行 五戒八戒 十善 戒 小乗の具足衆戒 三千の威儀 六万の斎行 梵網の 五十八戒 大乗一心 金剛法戒 三聚浄戒 大乗 の 具足戒等 すへて 道俗の 戒品 これらを たもつを 持といふ かやうの さまゝゝの 戒品を  たもてる いみしき ひとゝゝも 他力真実の 信心を えて のちに 真実報土には 往生を とくるな り みつからの おのゝゝの 戒善 おのゝゝの 自力の 信 自力の 善にては 実報土には むまれす となり 不簡破戒罪根深と いふは 破戒は かみに あらわす ところの よろつの 道俗の戒品を う けて やふり すてたるもの これらを きらはすとなり 罪根深と いふは 十悪五逆の悪人 謗法闡提 P--801 の罪人 おほよそ 善根 すくなきもの 悪業 おほきもの 善心あさきもの 悪心ふかきもの かやうの  あさましき さまゝゝの つみふかきひとを 深といふ ふかしと いふことはなり すへて よきひと  あしきひと たふときひと いやしきひとを 無礙光仏の 御ちかひには きらはす えらはれす これを  みちひきたまふを さきとし むねとするなり 真実信心を うれは 実報土に むまると おしえ たま へるを 浄土真宗の 正意と すと しるへしとなり 総迎来は すへて みな 浄土へ むかへ かへら しむと いへるなり 但使廻心多念仏と いふは 但使廻心は ひとへに 廻心せしめよといふ ことはな り 廻心といふは 自力の心を ひるかへし すつるを いふなり 実報土に むまるゝひとは かならす  金剛の 信心の おこるを 多念仏と まふすなり 多は 大のこゝろなり 勝のこゝろなり 増上のこゝ ろなり 大はおほきなり 勝はすくれたり よろつの善に まされるとなり 増上は よろつのことに す くれたるなり これすなわち 他力本願無上の ゆへなり 自力のこゝろを すつといふは やうゝゝ  さまゝゝの 大小聖人 善悪凡夫の みつからかみを よしと おもふこゝろを すて みをたのます あ しきこゝろを かへりみす ひとすちに 具縛の凡愚 屠沽の下類 無礙光仏の 不可思議の本願 広大智 慧の 名号を 信楽すれは 煩悩を 具足し なから 無上大涅槃に いたるなり 具縛は よろつの 煩 悩に しはられたる われらなり 煩は みを わつらはす 悩は こゝろを なやますといふ 屠は よ ろつの いきたるものを ころし ほふる ものなり これは れうしといふ ものなり 沽は よろつの P--802 ものを うり かう ものなり これは あき人なり これらを 下類といふなり 能令瓦礫変成金と い ふは 能は よくといふ 令は せしむといふ 瓦は かわらといふ 礫は つふてといふ 変成金は 変 成は かへなすといふ 金は こかねといふ かわら つふてを こかねに かえ なさしめむか ことし と たとへ たまへるなり れうし あき人 さまゝゝの ものは みな いし かわら つふての こと くなる われらなり 如来の御ちかひを ふたこゝろなく 信楽すれは 摂取のひかりの なかに おさめ  とられ まいらせて かならす 大涅槃の さとりを ひらかしめたまふは すなわち れうし あき人な とは いし かわら つふてなむとを よく こかねと なさしめむか ことしと たとへたまへるなり  摂取の ひかりと まふすは 阿弥陀仏の 御こゝろに おさめ とりたまふ ゆへなり 文のこゝろは  おもふほとは まふし あらはし 候はねとも あらゝゝ まふすなり ふかきことは これにて おしは からせ たまふへし この文は 慈愍三蔵と まふす 聖人の 御釈なり 震旦には 恵日三蔵と まふす なり 極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専  極楽無為涅槃界と いふは 極楽と まふすは かの安楽浄土なり よろつの たのしみ つねにして く るしみ ましわらさるなり かのくにおは 安養といへり 曇鸞和尚は ほめたてまつりて 安養と まふ すとこそ のたまへり また 論には 蓮華蔵世界とも いへり 無為ともいへり 涅槃界といふは 無明 P--803 のまとひを ひるかへして 無上涅槃の さとりを ひらくなり 界は さかいといふ さとりを ひら く さかいなり 大涅槃と まふすに その名 無量なり くはしく まふすに あたはす おろゝゝ そ の名を あらはすへし 涅槃おは 滅度といふ 無為といふ 安楽といふ 常楽といふ 実相といふ 法身 といふ 法性といふ 真如といふ 一如といふ 仏性といふ 仏性すなわち 如来なり この如来 微塵世 界に みちゝゝ たまへり すなわち 一切群生海の 心なり この心に 誓願を 信楽するか ゆへに  この信心 すなわち 仏性なり 仏性すなわち 法性なり 法性すなわち 法身なり 法身は いろもなし  かたちも ましまさす しかれは こゝろも およはれす ことはも たへたり この一如より かたちを  あらわして 方便法身と まふす 御すかたを しめして 法蔵比丘と なのりたまひて 不可思議の 大 誓願を おこして あらわれたまふ 御かたちおは 世親菩薩は 尽十方無礙光如来と なつけたてまつり  たまへり この如来を 報身と まふす 誓願の 業因に むくひたまへる ゆへに 報身如来と まふす なり 報とまふすは たねに むくひたるなり この報身より 応化等の 無量無数の身を あらはして  微塵世界に 無礙の 智慧光を はなたしめたまふ ゆへに 尽十方無礙光仏と まふす ひかりにて か たちも ましまさす いろも ましまさす 無明のやみを はらひ 悪業に さえられす このゆへに 無 礙光と まふすなり 無礙は さわりなしと まふす しかれは 阿弥陀仏は 光明なり 光明は 智慧の かたちなりと しるへし 随縁雑善恐難生と いふは 随縁は 衆生の おのゝゝの縁に したかひて おの P--804 ゝゝの こゝろに まかせて もろゝゝの 善を 修するを 極楽に 廻向するなり すなわち 八万四千 の 法門なり これは みな 自力の 善根なるゆへに 実報土には むまれすと きらわるゝ ゆへに 恐 難生といへり 恐は おそるといふ 真の報土に 雑善自力の善 むまるといふことを おそるゝなり 難 生は むまれかたしとなり 故使如来選要法と いふは 釈迦如来 よろつの善の なかより 名号を え らひとりて 五濁悪時 悪世界 悪衆生 邪見無信の ものに あたえ たまへるなりと しるへしとなり  これを 選といふ ひろく えらふと いふなり 要は もはらといふ もとむといふ ちきるといふなり  法は 名号なり 教念弥陀専復専と いふは 教は おしふといふ のりといふ 釈尊の教勅なり 念は  心に おもひさためて ともかくも はたらかぬ こゝろなり すなわち 選択本願の 名号を 一向専修 なれと おしえたまふ 御ことなり 専復専と いふは はしめの専は 一行を 修すへしとなり 復は ま たといふ かさぬといふ しかれは また 専といふは 一心なれとなり 一行一心を もはらなれとなり  専は 一といふ ことはなり もはらと いふは ふたこゝろ なかれとなり ともかくも うつる こゝろ なきを 専といふなり この 一行一心なるひとを 摂取して すてたまはされは 阿弥陀と なつけ た てまつると 光明寺の 和尚は のたまへり この一心は 横超の 信心なり 横は よこさまといふ 超 は こえてといふ よろつの法に すくれて すみやかに とく 生死海を こえて 仏果に いたるかゆ へに 超と まふすなり これ すなわち 大悲誓願力なるか ゆへなり この信心は 摂取のゆへに 金 P--805 剛心となれり これは 大経の本願の 三信心なり この真実信心を 世親菩薩は 願作仏心と のたまへ り この 信楽は 仏に ならむと ねかふと まふすこゝろなり この願作仏心は すなわち 度衆生心な り この度衆生心と まふすは すなわち 衆生をして 生死の大海を わたす こゝろなり この信楽は  衆生をして 無上涅槃に いたらしむる 心なり この心 すなわち 大菩提心なり 大慈大悲心なり こ の信心 すなわち 仏性なり すなわち 如来なり この信心を うるを 慶喜と いふなり 慶喜するひ とは 諸仏と ひとしきひと と なつく 慶は よろこふといふ 信心を えてのちに よろこふなり  喜は こゝろのうちに よろこふ こゝろ たえすして つねなるをいふ うへきことを えてのちに み にも こゝろにも よろこふ こゝろなり 信心を えたるひとおは 分陀利華と のたまへり この信心 を えかたきことを 経には 極難信法と のたまへり しかれは 大経には 若聞斯経 信楽受持 難中 之難 無過此難と おしへたまへり この文の こゝろは もし この経を きゝて 信すること かたき か なかに かたし これに すきて かたきこと なしと のたまへる 御のりなり 釈迦牟尼如来は  五濁悪世に いてゝ この難信の法を 行して 無上涅槃に いたると ときたまふ さて この智慧の  名号を 濁悪の衆生に あたえたまふと のたまへり 十方諸仏の 証誠 恒沙如来の 護念 ひとへに 真 実信心の ひとのためなり 釈迦は 慈父 弥陀は 悲母なり われらか ちゝはゝ 種種の 方便をして  無上の信心を ひらき おこし たまへるなりと しるへしとなり おほよそ 過去久遠に 三恒河沙の  P--806 諸仏のよにいて たまひし みもとにして 自力の菩提心を おこしき 恒沙の善根を 修せしに よりて  いま 願力に まうあふことを えたり 他力の 三信心を えたらむひとは ゆめゝゝ 余の善根を そ しり 余の仏聖を いやしうすること なかれとなり 具三心者 必生彼国と いふは 三心を 具すれは  かならす かのくにに むまるとなり しかれは 善導は 具此三心 必得往生也 若少一心 即不得生と  のたまへり 具此三心と いふは みつの心を 具すへしとなり 必得往生と いふは 必は かならすと いふ 得は うると いふ うるといふは 往生を うるとなり 若少一心と いふは 若は もしといふ  ことしといふ 少は かくるといふ すくなしといふ 一心 かけぬれは むまれすといふなり 一心かく るといふは 信心のかくるなり 信心かくといふは 本願真実の 三信の かくるなり 観経の 三心を  えてのちに 大経の三信心を うるを 一心を うるとは まふすなり このゆへに 大経の三信心を え さるおは 一心かくると まふすなり この一心 かけぬれは 真の報土に むまれすといふなり 観経の 三心は 定散二機の心なり 定散二善を 廻して 大経の 三信を えむと ねかふ 方便の 深心と 至 誠心と しるへし 真実の三信心を えされは 即不得生と いふなり 即は すなわちといふ 不得生と  いふは むまるゝことを えすといふなり 三信かけぬる ゆへに すなわち 報土に むまれすとなり  雑行雑修して 定機散機の人 他力の 信心 かけたるゆへに 多生曠劫をへて 他力の一心を えてのち に むまるへきゆへに すなわち むまれすといふなり もし 胎生辺地に むまれても 五百歳をへ あ P--807 るいは 億千万衆の中に ときに まれに 一人真の報土には すゝむと みえたり 三信を えむことを  よくゝゝ こころえ ねかふへきなり 不得外現 賢善精進之相と いふは あらはに かしこき すかた  善人の かたちを あらわすこと なかれ 精進なる すかたを しめすこと なかれとなり そのゆへは  内懐虚仮なれはなり 内は うちといふ こゝろのうちに 煩悩を 具せるゆへに 虚なり 仮なり 虚は  むなしくして 実ならぬなり 仮は かりにして 真ならぬなり このこゝろは かみに あらわせり こ の信心は まことの 浄土の たねとなり みとなるへしと いつわらす へつらわす 実報土の たねと なる 信心なり しかれは われらは 善人にも あらす 賢人にも あらす 賢人と いふは かしこく  よきひとなり 精進なる こゝろも なし 懈怠の こゝろのみにして うちは むなしく いつわり か さり へつらう こゝろのみ つねにして まことなる こゝろなき みなりと しるへしとなり 斟酌す へしといふは ことのありさまに したかふて はからふへしといふ ことはなり 不簡破戒罪根深と い ふは もろゝゝの 戒を やふり つみふかき ひとを きらはすとなり このやうは はしめに あらわ せり よくゝゝ みるへし 乃至十念 若不生者 不取正覚と いふは 選択本願の文なり この文の こ ゝろは 乃至十念の みなを となえむもの もし わかくにに むまれすは 仏に ならしと ちかひた まへる 本願なり 乃至は かみ しもと おほき すくなき ちかき とおき ひさしきおも みな おさ むる ことはなり 多念に とゝまるこゝろを やめ 一念に とゝまる こゝろを とゝめむかために 法 P--808 蔵菩薩の願し まします 御ちかひなり 非権非実と いふは 法華宗の おしえなり 浄土真宗の こゝ ろに あらす 聖道家の こゝろなり かの宗の ひとに たつぬへし 汝若不能念と いふは 五逆十悪 の罪人 不浄説法のもの やまうの くるしみに とちられて こゝろに 弥陀を 念し たてまつらすは  たゝ くちに 南無阿弥陀仏と となえよと すゝめたまへる 御のりなり これは 称名を 本願と ち かひ たまへる ことを あらわさむとなり 応称無量寿仏と のへたまへるは このこゝろなり 応称は  となふへしとなり 具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念念中 除八十億劫 生死之罪と いふは  五逆の罪人は そのみに つみを もてること と八十億劫の つみを もてる ゆへに 十念南無阿弥陀 仏と となふへしと すゝめ たまへる 御のりなり 一念に と八十億劫の つみを けすましきには  あらねとも 五逆の つみの おもき ほとを しらせむか ためなり 十念と いふは たゝ くちに  十返を となふへしとなり しかれは 選択本願には 若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生 者 不取正覚と まふすは 弥陀の本願は とこゑまての 衆生 みな 往生すと しらせむと おほして  十声と のたまへるなり 念と 声とは ひとつ こゝろなりと しるへしとなり 念を はなれたる 声 なし 声を はなれたる 念なしとなり この文ともの こゝろは おもふほとは まふさす よからむひ とに たつぬへし ふかきことは これにても おしはかり たまふへし    南無阿弥陀仏 P--809   ゐなかの ひとゝゝの 文字の こゝろも しらす あさましき 愚痴 きわまりなき ゆへに やす   く こゝろえ させむとて おなしことを たひゝゝ とりかへし〜 かきつけたり こゝろ あら   む ひとは おかしく おもふへし あさけりを なすへし しかれとも おほかたの そしりを か   へりみす ひとすちに おろかなるものを こゝろえ やすからむとて しるせるなり     [康元二歳正月廿七日 愚禿親鸞{八十五歳}書写之] P--810